熊本市・西原村での活動記録(5/3~5 皆川久美香さん)
▼5月3日(火)
午後は救援物資の仕分け、 積み込みの作業に人手が必要ということでアクアドームくまもとへ 。この日は激しい豪雨だったことも関係するのかも知れないが、 意外とスタッフの数は余っているようで待機の時間も多かった。
夕方はさらに移動して救援物資が集まる場所で飛ばされそうになっ ているテントの立て直しや、 物資にブルーシートをかける仕事をお手伝いしてこの日は終了。 いろいろ受け入れ側にも初めてのことばかりで様々な事情があるの は理解できるものの、 熊本に沢山集まっている人的リソースをもう少し有効に使えないも のか、と正直もやもや& 体力をあまらせた状態で初日の活動を終えた。
▼5月4日(水)
県外からのボランティアを受け入れているのは熊本市と西原村とい うことで選択肢が少ない。公共交通機関で現地入りしていたが、 運よく西原村に乗せていってもらえることになり、いざ、熊本市を 8時に出発して西原村へ向かう。往路の道中、西原村のfaceb ookページを見ると8:29に「駐車場が満車となりました。 本日の受付を締め切らせていただきます」の文字が。受付開始は8 :30のはずなのになぜ?
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『駐車場が満車(約180台)』又は『受付終了時刻(11:00 )』になりましたら、 その日の受け入れは終了させていただきます。
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駐車場開門は『午前8:00』からです。 それより早く来訪されても企業の通勤・ 近隣住民の通行の迷惑になりますので、 駐車場周辺で路上駐車などをされてお待ちいただくことは絶対にお やめください。
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西原村でおろしてもらう予定の片道切符で向かっている自分は果た してどうするべきなのか、熊本市に帰るべきなのか、 帰るにしても足はどうするのか、 と内心ヒヤヒヤしながら電話をかけてみた。すると「 車を停めないのであれば受け付けますよ」とのこと。Facebo okにポストされた内容からはもう何人も受付しない、 というように受け取れたので、 あれを見て引き返した人も多数いたのではないかと想像した。 ひとまず自分は胸をなでおろして、その20分後の9時に西原村災 害ボランティアセンターに到着。
現地で会った他のボランティア中にも、路駐はだめだというから8 :30ちょうどに到着したのだけど駐車場に入れなかったのでわざ わざ7キロも離れた熊本空港に車を停めに行き、 タクシーに乗って再びボランティアセンターまで戻ってきた、 という人もいた。
ボランティア活動に関するオリエンテーションを受け、 サテライトまで送迎してくれるバスを待つ。サテライトに到着し、 再びオリエンテーションを受けるのだが、 場所柄か力を必要とする作業が多いためか「男性の方○ 名お願いします~」という声はかかるが、 女性にはなかなか声がかからず、 テントの下で小一時間待機することに。その間、 熊本市から来ていたボランティアの人とお話をしてみたりしたのだ が、高校一年生という若いメンバーも大勢いた。また小学生~ 中学生くらいの子どもも親と一緒に家族でボランティアに活動に参 加しているのを多く見かけた。
熊本市も良く見るとひびが入っていたり、傾いていたり、 一部崩壊している建物を見かけることがあったが、 西原村の集落は一歩足を踏み入れると、 沢山の屋根がブルーシートに覆われ、 一部損壊とかかれた赤い紙が貼られた家々はどう見ても住める状態 ではなく、 みんな避難しているのかがらんとした集落にあるとにかく石塀とい う石塀が傾き、瓦礫が山積していた。我々のチームは、 その崩れたブロック塀を土嚢袋につめてはダンプ場に運ぶ、 という作業を担った。
男性6名、女性3名のチームは、福岡県や長崎県、 大阪府や神奈川県、東京都(私) などいろんな地域から集まっていた。午後3時作業終了。 サテライトに移動したのは10時だったけれど、 私に仕事が割り当てられて実際に現場まで移動したのはすでに11 時半だったので、実働時間は残念ながら3時間ぐらいしかなかった 。瓦礫は集落のほんの一部を片付けたに過ぎず、 もっともっと片付けてあげたかったという思いを胸に明日以降のボ ランティアの活動に期待しながら、西原村を後にした。
熊本市に戻る途中、益城町の被害の大きかったエリアを通過した。 道路は隆起し、電信柱は倒れ、 お寺の屋根は一階を押しつぶしている。 そんな被害を実際に目にしたら、 外部の私ですらこれから続く復興への長い道のりが大変なものに容 易に想像できるのに、 現地で被災した人はその道のりをどんなに途方もなく長い道のりと してみているのかと思うと、言葉を失う思いがした。
▼5月5日(木)
「とにかく早く行かないと仕事にありつけない」「 ニーズ以上に人が集まって遅くいくと受付が終わってしまうことが ある」 という噂の熊本市災害ボランティアセンターがある花畑公園へ。 受付開始は8時半だが、キャンプサイトを6時半には出発し、 行列には7時半に加わった。 すでに数百人の人が並んでいたと思われる。 いろんな人の会話を聞いていると、 この行列は前日よりもだいぶ少なかったらしい。6日は平日で県外 から来ている人の多くは帰ってしまったのだろうと想像することが できた。
8時半には列が動き始め、受付を済ませたのが9時、 オリエンテーションを済ませて仕事をアサインされたのが大体9時 半。4月30日からずっと熊本市内で車中泊しながらボランティア しているという大阪から来たご夫婦の車を使い、 ボランティアセンターから車で約30分のお宅の片付けに向かった 。この日、お手伝いしたお宅は3軒。いずれも60~70代の女性 一人暮らしの世帯だった。 壊れてしまった家具も一人では運び出すことができない。 丸一日かかるような作業ではないけれど、 ちょっとお手伝いして欲しいと思いながら、 これぐらいでボランティアを要請しては申し訳ないと、 電話をかけない人たちも沢山いるのだろうと思った。
この三日間でお手伝いした現地の被災者の方に、 こちらから地震当日のことを聞くことはなかったのだが( 辛いことなので聞かないようにとオリエンテーションで釘をさされ ている)、中には自ら話してくださる方もいた。 地震から数週間が経って、 そういう話を口にすることで少しずつご自身の気持ちを整理したり 、前向きにさせたりしているのではないかと想像した。 身近な人を亡くした、それもさようならも言えずに。 それを思うと本当に胸がつぶれる思いだった。
GWが終わった今現在「被災地にボランティアが足りない」 という報道を沢山見るようになり、 あんなに沢山熊本に集まっていたボランティアは、 それぞれみんなもっともっとお手伝いしたかっただろうと思うし、 もっと活用できたはずと、 情報の正しい伝達や発生する災害にどう最善の方法で対処していく のかということには今後の課題が残ると思った。しかしながら、 なんとか被災地の役に立ちたいとあれだけの多くの人々が遠方から 集まっていることはとてもポジティブなことであるし、 自分にとっても、実際の被災地をこの目で見、 被災者やボランティアセンターの人たちの声を聞くことができ、 遠いところのニュースとしてではなく、 実際に身をおくことでダイレクトに様々な事象を理解し、 体感できたことは非常に意義のあることだったと思っている。
東京に戻った現在は、 自身が今後どんな形でこの問題の解決に寄与できるのか、 少しでも何かを変えることができないか、 そんなことを考えながらすごしている。 何か力になりたいと思っている人がもしこれを読んでいたら、 どんなに小さいことでもいいから「具体的に」 動いて欲しいなと願っています。